俳写イメージ


ふじみ野俳写俱楽部「俳写作品展」
2015年5月より、俳写倶楽部の発表や活動の一部をネットで開示致します。
一人3点程度の自己作品発表と、全員の作品のすべてを合評致します。
(原則的に)毎月一回/第一日曜日の午後1時〜4時まで。
○ 場所/大井中央公民館。
お問い合わせ:tel/fax兼用 049−266−5969 横田 

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★今月の講評

 

2019年 6月の講習一部-120回/COMMENTspace

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井の中で何をか言わん泳ぐのみ

嘉部 制子

 

青葉影あそぼあそぼの声聞こえ

藤川 正子
中目黒駅付近

 

人々よ 我の願ひは 初夏の風

岩崎 和子
2019.5.25 山梨昇仙峡

 
 

観賞

 横浜の処在る観賞魚ショップの一齣だそうだ。
 作者は横浜の風情が好きでよく訪れるという。水族館は魚の美しさを見せる為に水槽の照明や飾りに粋を凝らす。写真を拡大してみると、どうやらグッピーらしい。句は「井の中」と詠まれたが「井」とは井戸の他に「狭い」という意味もある。煌びやかに泳ぐ魚でも狭い水槽の中では泳ぐしかないのだと作者は思った。何でもない写真に何でもない句が重なると、一枚の俳写としての意味が生まれる。
 二枚目を撮るならば、狙いは何か見極めたい。魚か草か、石か、光か。その一点にピントをあわす。
 写真のピントは撮る人の「心」とも言える。
                浅 田

 

講評
 萌え出た葉がやや成長して青々と茂った場面、ここは中目黒だという、ビルに囲まれた所に公園、その公園にはベンチがあり、安らぎを求めて人が集う様子が伺えます。前景に青葉、背景にビルの外壁、窓枠効果と言うのでしょうか、とても研究された写真撮影技術で句の情景が引き出されていると思います。ビルの外壁、子供が喜びそうなモニュメント。
 「あそぼあそぼ」子供が元気いっぱい楽しく遊んでいる。
 お年寄りが微笑ましく、我が孫のごとく遊んでいる姿にニコニコ皺を寄せて見ているおばぁちゃんが想像できます。
 一枚の写真からこれだけの想像力を沸かせてもらいました。素敵な作品に仕上げられたと思います。

横 田

 

講評

 写真の石像は、山梨県昇仙峡の「布袋様」です。
 願い事を書いた札が、頭部を残して二重、三重に貼られています。左側に写る立札には、画像ではほとんど判読出来ませんが、「布袋の願いも三度まで」と墨書されています。
 人々は、それぞれの祈願を一番札、二番札、三番札とすべて書き込み、私の顔面だけ残して全身に暑苦しく貼り付け、立ち去って行きます。せめて祈願札の数枚に、「布袋様に初夏の涼風一陣、吹いてあげて欲しい」と書いてくれたらナー。と私、布袋は笑い顔の裏で思う、今日この頃です。

 なかなか、皮肉で不条理な状況を軽々と、俳写で表現した作品だと思います。

小 林

 

 

2019年 5月の講習一部-119回/COMMENTspace

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嬉々として波とたわむる小等の声

市川 四郎

 

手つかずで 食す人なし 小鳥まち

田窪 和昭

 


春潮の 水平線を 引き寄せし

秋岡 邦夫
白ママ断崖(新島)

 
 

観賞

 写真は二次元の芸術と言う。つまり、長さと幅だけの広がりだけで、観る人に感動を与えるか否かが写真の良し悪しになる。 市川氏の写真感覚は花や鳥など美しいものを如何に美しく撮るかに挑戦されることが多かった。今回は「景と人間」に挑戦された。つまり二次元から三次元の写真を目論み、奥行きを出された。
 句に喜々とあるが、子供のことではなく、市川氏の新しいものに挑戦する気持であると思う。
 逆光の写真であるが、逆光を生かし子供たちを完全な影絵とし、波の光を誇張されるのも面白い。
 子供たちの声が聞こえる四次元?の写真を狙うも良いかも知れない。今後の挑戦に期待したい。
                浅 田

 

 

講評
 ザクロの写真、とても、食べたくなるような真っ赤な実、誰もが手を出してみるものではないかと思わせるものですが、作者は手つかずのままであることは不思議だという心境なのでしょうか?
 人の手がつかないのは、まだ未熟なのかもしれません。(ザクロの旬は8月以後)いずれにしても、ザクロとしては、こんなに美味しい実を付けているのにと誇張してみせている。「小鳥さん食べに来ておくれ・・」と感じました。
 写真の構図をよく考えて撮られている。そして句の位置も良くこの場合は俳写として完成したものと思います。強いて言うならば「ザクロの実」がもう少しみられると美味しさを誇張出来て小鳥も食べに来そうな雰囲気が得たのではないのかと思います。

横 田

 

講評
 「ゆったりと力強い春の潮が、遠い水平線を引き寄せて来た」と、スケールの大きい俳句を添えています。画面の右方向には、寄せ手は返す渚の砂跡がついており、泡沫のはじける音が聞こえて来る様です。新島のこれ以上の立ち入りは禁止の場所でしょうか、人っ子一人いません。神秘的で心惹かれる風景写真です。
 写真の外枠に句を配置しています。写真と句の自己主張がそれぞれ整理され、安定した配置になっています。
 これに「俳写」としての「動き」を表現するには、句と画像が一つの画面の中で、位置の占有や色の選択等で混ざり合い競い合うことでしょう。美しく構成された画像と句の破綻という失敗を越えて、躍動感のある可能性の「俳写」が出現するのではないでしょうか。
 美しい砂浜の上、破綻の足跡である一句一列が遠くに消えてゆくと、なぜか心がざわめいてまいります。

小 林

 


2019年 4月の講習一部-118回/COMMENTspace

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春時雨止むまでしばし小休止

西川 恵美子


 

菜の花や二本は食わず仏花とす

佐藤 三男
2019.4 権現堂堤

 

春風も凛と過行く笠の上

高梨 琴江

 

 
 

観賞

 時雨は冬の季語で初冬から中冬の間にパラパラと降って止み又降る雨。日が射すときもある。
 春時雨は時雨より温かみと明るさがある。バスの窓硝子の当たる水滴が雪のように見える。後ろの木立が影絵の如く幻想的に見えたのであろう。その樹々の空間が広くもしくは狭く、写真としての構図が実によく、春の時雨の感を醸し出している。窓に張り付いた雨粒が先に述べたように、何気ないスナップに、芸術性をもたらした。俳句も押し付けがましくなく素直に詠まれたところにリアリティがある。作者は偶然ですと謙遜された。
 レオナルドダヴィンチは言う。才能のない人には偶然はない。才能があればこそ偶然は生まれる・・と。
                浅 田

 

講評
 権現堂桜堤は関東でも有数の桜並木があり満開の時は沢山の人が訪れます。
この時期は桜の「ピンク色」そして堤に沿った菜の花畑の「黄色」色合いも良くこの地の人気度は大変なものです。家族でお出かけだったのでしょうか?菜の花を沢山摘んでおかずの一品にするというのでしょうか、2本だけは食べずに仏さまにお供えしようとしたようです。ここで「2本は食わず」はどう解釈すれば、少々戸惑いました。仏さんは二人?小さいことは気にしないこととして、この場合は摘んだ大部分は食して二本だけ供えたと理解、沢山の中から「二本だけ食わず」というユーモア感覚でとらえたいと思いました。
何か想像しながら楽しませてくれた作品になりました。

横 田

 

講評
 河津桜と菜の花が満開の、ウキウキする俳写です。
 ネットの画面ではかなり小さいので、桃色の強い川津桜に笠の色が溶け込んでしまい、お遍路さんが一寸わかりにくいのが残念でした。全体に俳句と写真のコラボがほど良く、句の置く空間も良いと思います。
 展示会などでワイド4切の額等に納めれば、合掌するお遍路さんの一瞬の姿等ハッキリと確認出来て、効果は倍増するでしょう。前後のボケ味も素晴らしいです。
 「春が笠の上をスッキリと流れ過ぎてゆく」と作者は表現しました。さらに、お遍路さんも凛とした姿勢で好天の下を歩いて行きます。伊豆八十八ヶ所巡りの途中でしょうか。
 色々想像させてくれる俳写です。

小 林

 

 

2019年 3月の講習一部-117回/COMMENTspace

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平安の戯れ楽し春の宵

角 喜代鷹
平安末期の貝合わせの模様

 

ふるさとを思いつつ也天国に逝く

太田 賜代
H.30/12/21

 

幸せを異国で願う初みくじ

生越 輝夫
浅草:浅草

 
 

観賞

 芸術性を追求する俳写もよいが、只美しさのみを表現する俳写も良い。掲示場所は解らないが雛壇の下の添飾りとして「貝合」を紹介された。貝合(かいあわせ)は朝鮮蛤に絵や歌を書き対の貝を合せる。貝の蝶番は対の貝以外は合わない。紅敷の上に絵貝を並べ傍らに五六人の姫を置いた。琴の音にのり優雅遊ぶ様は実に美しい。貝を納める八角形の貝桶も見える。
 飾るレイアウトは美術館の人だがそれを見る作者の美意識はレンズを通して鑑賞者に共感を与える。
 俳句は何の衒いもない素直な句であるが故に、写真の綺羅に目を引かれる。
 作者は荒川区の俳写コンテストに入賞されたそうだが喜ばしいことと思う。
                浅 田

 

講評
 交通事故に遭遇することは非常にめずらしいこと。目の前で交通事故が発生、けたたましいサイレンの音、何が何やら・・・と思いながら見ていた。周りの人から聞いたところ遠路はるばる子供の家に遊びに来たところ事故に遭った、と聞いて作者も感情が昂りその場に立ちすくんだと言う。せめて、子供と充分な語らいは出来たのかな、いろいろ気になるところです。「ふるさとをおもいつつ・・・」亡くなった人の気持ちを詠まれていると思います。・・おもいつつ也・・・「也」と言う字になにを表現したかったのか?平明に「ふるさとを思いつつ逝く天国に」としたら如何でしょうか?
 俳句の形式にとらわれずに、作者の十分な気持ちが詠みこまれていると思いました。

横 田

 

講評
 写真は、おみくじを女性達が引いているといった、ごく平凡な風景写真です。
 しかしここに俳句で、「異国で願う初みくじ」とコラボレーションされると、俄然様子が違って来ます。もう一度写真を見返し「浅草:浅草寺」と付記されたコメントを読み、ああ、中国か台湾からの団体観光客の様子だったのかと納得します。
 この様に、画像だけでは物足りない写真に句が付加される事で、あたりの光景に中国語の会話がペチャクチャと立ち上がり、人々がストップモーションから突然動き出します。
 写真と句の組合せでもう一つ別の世界、「俳写世界」を上手く表現した作品だと思います

小 林

 

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2019年 2月の講習一部-116回/COMMENT

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寒風や本とコーヒーたっぷりと

藤川 正子
2019.1.9 青山通り

 

寒風に香り奪われ うろたえる

岡田 勝太

 

さてどこが 終の棲家と 漂いぬ

嘉部 制子

 
 

観賞

 何とお洒落なキャッチコピーのある青山のブックカフェーなのでしょう。本当にカフェーでないにしてもその雰囲気は十分にあります。
 左前面に落書をイラストの本のオブジェを置き、景全体をユーモア写真とし、右側の赤い矢印が写真を引締める構成にされたのは流石と思います。
 又、奥行きの中間にある樹木の緑が鑑賞者の心を落ち着かせ和ませてくれます。
 恰も店のキャッチコピーに仕立てた俳句は、フランス風であり、単なる俳写というより、洗練されたコピーライター、イラストレーター、デザイナーの写真とも思えます。俳句の季語も春夏秋冬その季節により自在に変えることができます。

浅 田

 

講評

 蝋梅は12月から2月頃まで、かなり日陰でも咲く、半透明、鈍いツヤ、黄色く香り高い花です。
「寒風に香りが奪われた」どれぐらいの風が吹いたのか?は別として、蝋梅の香りが奪われたら花の命は終わりと言えるほどです。
 作者は、「・・・うろたえる」大変なことだと感じてうろたえるとつなげたと思います。
 また、ダジャレ好きな作者、「うろたえる」は「狼狽する」に通じるとしました。少しオーバーな事とは思いますが、なかなかのセンスのあるものとなりました。
 写真も上手に撮られて、蝋梅の特徴が素敵に表現できています。

横田

 

講評

 「俳写」の写真には、一目で状態が飲み込めない写真があります。今回の作例がそうでした。作者は全体を俯瞰していますから理解出来るのですが、トリミングされた部分写真からでは、しばらくの間状況が理解出来ませんでした。
 この写真、全体が池でその中に段々畑の様な島が、めぐっています。よく見ると小魚までが泳いでいる水槽ディスプレー作品でした。全体の状況が解ると、終の棲家を求めてさまよっている金魚達の気分も理解出来ました。
 複雑で不思議な写真は、言葉だけでは説明しきれません。今回の様にインスピレーションを先行させて制作してしまえば、新しい世界がひらけるかも知れません。

小林

 

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2019年 1月の講習一部-115回/COMMENTspace

  秋岡 邦夫   岩崎   平田  
 

初詣五百羅漢に会いに行く
秋岡 邦夫
長安寺(箱根仙石原)

  学び舎のふと窓見れば枯葉降り
岩崎 和子
大井中央公民館
 

廃墟かな 見える館は 埋もれて

平田  正子

 
 

観賞

 写真構図は素晴らしいとの定評がある。構図を乱さない為に句を外枠に出すという手法も理解できる。故に縦や横に印刷しても写真が小さくなってしまうのは止むを得ない。今後のレイアウトをどのようにするか検討されるであろう。
 仙石原の五百羅漢を祀る古刹である。池に映る五色の垂旗は宗教的意味があり、本殿軒に吊り、鰐口を鳴らす綱に編まれる。その景が池の水皺に映り、恰も布旗が揺らめく。その旗間より羅漢仏一体が見える。池には弁財天が普通だが羅漢像とは珍しい。拡大写真にすれば構図として冴えわたると思う。
 俳句は素直な初詣句であり情景説明せず、羅漢仏に留めたことにより俳写が生きてきたと言える。

浅 田

 

講評

 作者にとっての学び舎は?公民館でしょうか?
 公民館には。色々な趣味の講座があれど、何を学ばれているのでしょうか。
 その内の一つに俳写があったと言う事でしょう。写真から、「・・・枯葉降り」とは想像ができにくく見えにくいです、大きな木の幹が赤くなっていて蔓状の紅葉が巻き付いている様子でしょうか?写真の雰囲気は判りますがすこし不鮮明でわかりません。
 一般的に「ふと窓見れば」「枯葉降り」などと動詞が続く俳句は避けたいと言われています。575の文字を使ってどのような表現ができるかが難しいところです。俳写倶楽部では俳句的な縛りは必ずしも守らなくて良いとしていますが。

横田

 

講評

 雪の降り積もった館はどうも廃墟らしいと、作者は表現しています。
 さてどこの駅舎だったのでしょうか、一度聞いたのですが年のせいで忘れてしまいました。
 湯沢駅だと聞いた様な気がしますが、格別に場所の指定をしなくとも凍てついた駅舎が迫ってきます。雪に閉ざされた建物は、物音一つせぬ廃墟の様で近寄りがたいものがあります。
 今気が付いたのですが、観賞の場合、写真に写った場所がどこだとこだわるよりも、その風景から受け取った作者の感性を、観賞する方が数倍も大切な事でした。
 日中のモノクロームの雪のコントラスト、左下に何気に置かれた落款が、唯一の赤味でした。

尊晴

 

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